本音で話す人に惚れる(戒め)
どうも、neyearです。
人付き合いに疲れた
と、思うときありますよね。
その場の空気を壊したくない、
その人を不快にさせたくない、
本音を言うと傷つきそうだな、
なんて、思いながら人と話す方には共感いただけるんじゃないかと思う次第です。
この悩みが生まれるのは、自分の感性が敏感だから、相手のことも考えてしまえるんだ、と私は折り合いをつけて考えてます。私はこの性格を長所として捉えています(面接かな?)。
ポジティブに考えていけば、周りは自ずと笑顔になります。こんな悩みを抱えている人に是非この考え方を知って欲しいですね。(なんて烏滸がましいのでしょうか。)
〜唐突な豆知識コーナー〜
(おこがましいっていう漢字って難しそうで単純なんですね。)
(と、思っていたのですが、
おこがましい、という漢字は3つ存在するらしい、この際だから知っておこう。
烏滸がましい
痴がましい
尾籠がましい
烏が水際(滸)でやかましい様子、という由来で烏滸がましい、と言う言葉が、
現代では漢字で使われることはありません。
なんだったんだこの使い所がほぼ無い豆知識コーナーは。)
〜唐突な豆知識コーナー終わり〜
…本題に戻りましょう。
そんな人達でも、本音で話せる中、といったような友達や親族はいるのではないでしょうか?
(相手を心から信用できる、できないは別として。)
私、そういう方々が大好きなんですね!
だから、学校では本音で喋れる人と普段つるんでました。最近までは。
〜ここから唐突な戒め〜
「最近の気づき・相手も人間だ」
実は今、すごく仲良かった同性の友達と、学校で距離をとっています。
なぜかというと、人伝てにその人の悩みを聞いてしまったからです。
その悩みは、自分への愚痴でした…
距離が近いと相手の嫌なところが見えるなんて言いますが、強く実感しましたね〜、、
コレはあるあるだと思うんですが、
本音で話すと、相手の気持ちを無視しがちになってしまう。
つまり、言うだけ言ってストレスを発散し、
聞き手側もきっと、本音で話せて嬉しいだろ、
という思い込みです。
けど相手も人間だ。
本音で話されると人間誰しも疲れるものだ。
しかも、その人は、その人の良さから、いろんな人の本音での悩みをたくさん聞いているのだろう。
私は一度、親友から一人のクラスメイトとして向かい合おうと思った。
本音での話は少なくなったが、今は昔より良好な関係になったと、心から思える。
そして私はまた、本音を殺して生きていくのだ。嫌なことがあっても、辛いことがあっても、前向きやポジティブを取り繕う。
徹底して、他人の平和を実現するんだ。
具体的には、誰にも本心(特に疲れた、もう嫌だ、嫌いだ、など)を言わないようにする。
…そしてきっと、本音で言える人との出会いがあって、その人にまた私は心を掴まれるのだろうな、なんてね